【 覚え書き 】 P4
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覚え書き
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4/2(日) #42
4/3(月) #43
4/4(火) #44
4/5(水) #45
4/6(木) #46
4/7(金)
満開
#47
4/8(土) #48
73. サクラの開花  2017年4月2日〜4月8日 撮影 ( 記事掲載:2017.4.8/4.9 )
 集合住宅のベランダからサクラが開花する様子を撮影した。2015年にも同じサクラの木を撮影した(「覚え書き」P3・「記事番号60」参照)。今回はカメラを三脚に取り付けて三脚を立てたままにしておいた。カメラのスイッチを切るとズーム倍率がリセットされてしまうので、サクラの木が多少大きくなったり小さくなったりした。最初は枝先に数個の花が確認できる程度だったが、4月2日(日)にようやく咲き始めたと思って三脚を設置して撮影を開始した。天気はよく晴れたり、どんより曇ったり、小雨が降ったりしていたので、写真の明るさが一定にならなかった。撮影時刻は一定にしようと、だいたい午前11時頃(±30分の範囲内)にした。4月8日(土)にはサクラの花びらが地面に落ちていたので、多分、満開は前日の4月7日(土)ではないかと思われる。散り始めても数日間は、白いサクラの花を愛(め)でることができそうだ。
 1週間ほぼ同時刻に撮影したが、毎日見ていると「きのうのサクラ」と「今日のサクラ」の変化がわかりにくいと思った。娘に毎日接していると娘の成長が分からず実感しにくいが、数ヶ月離れて暮らしたあと久しぶりに会うと「急に大きくなった」・「急に大人になった」と実感する娘の父親の気持ちに似ていると思った。四季を通じて目の前のサクラの木が成長し、こうして花を咲かせる様子を父親のような気持ちで見守っている。

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#49
木全体の様子(4/9)
《 スクリプト仕様 [ スクリプト配付元:SpaceGallery ]》
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● 写真の右下に「撮影日」を入れました。

#no72
72. 都筑民家園 ( 記事掲載:2017.2.25 )
 民家園の茅葺き屋根の葺き替えが終わったというので撮影しに出かけた。前に撮影した写真(左/2009年6月撮影)と比較してみようと同じ角度から撮影してみた(右/2017年2月25日撮影)。撮影時季と撮影時刻、周囲の環境が異なるので写り具合も大分違うとは思うが、新しい茅葺きの方が明るい気がする。個人的には古い茅葺き屋根の趣(おもむき)や風情にも捨てがたいものがあると思っているが.....。

#no71
71. キジバト(ハト科)  撮影日 2017年2月22日( 記事掲載:2017.2.25 )
 雨の様子はどうかとベランダ越しに外を見たら、桜の木に白い鳥が止まっていた。鳥の名前を確かめようとカメラの望遠側で鳥を拡大して見た。キジバトだった。そのまま数枚撮影した。翼のうろこ模様と首筋のしま模様がきれいだと思った。以前にもキジバトを見たことはあるが、さほど美しいとは思わなかった。雨が降る中、じっと枝木(えだぎ)に止まる様子に凜(りん)とした気配を感じたからかもしれない。寒そうでちょっとかわいそうな気もした。

#no70
70. 河内川   ( 記事掲載:2017.2.22 )
 丹沢湖バス停から大野山方面へハイキングしたときに、三保ダムの天端(てんば)道路を歩いた。ダム手前の周辺案内図に「河内川(かわうちがわ)」と振り仮名がついている(左の写真)。西丹沢自然教室バス停近くの西丹沢公園橋には「こうちかわ」と平仮名で川の名称が書かれている(中央の写真)。この川の名前を以前から疑問に思っていた。西丹沢自然教室へ「登山届」を出す際、職員の方に
聞いてみた。「こうちがわ」と読まれた。「〜かわ」と「〜がわ」の清音・濁音は、橋の名称と同じで「〜はし」と「〜ばし」にも当てはまり、読み慣わしとしてさして気にならないが、「かわうち」と「こうち」はさすがに気になる。西丹沢自然教室行きの富士急湘南バスに乗ると、川西橋(かわにしばし)を渡る。この橋の近くに川の名称を示す大きな標示板がたっている。「こうち川」と書いてある(右の写真/バスの車窓ごしに撮影)。どうやら三保ダムの周辺案内図に問題がありそうだ。( 写真撮影日(左)2016/11/06(中央)2017/2/15(右)2017/2/21 )

#no69
69. 「三之沢(第六天沢)」 撮影日 2017年1月12日( 記事掲載:2017.1.20 )
 高松山(たかまつやま)へ南側から登るには、「ビリ堂」経由で登る登山道と、南東側から「尺里峠(ひさりとうげ)」や「第六天(だいろくてん)」経由で登る登山道がある。道中「 ← 尺里峠(第六天)」・「 ← 第六天(尺里峠)」のような方角案内板(道標)をよく目にする。最初、この括弧書きを「別名」と解釈してしまった。地図を見れば近くの「別の場所」とわかるのに、同じ場所と勘違いした。高松山の山頂で休憩中のカップルから「第六天って、三角点のある場所ですよね」という情報を得て、「三角点」を確認し「別の場所」になった。
 尺里峠の東側には「松田町みどりの風自然遊歩道」が南北にのびている。この遊歩道には富士
山や表丹沢方面の山並みが眺望できるビューポイントが随所にある。ガイド地図に記された「ビュースポット」以外の場所からも雄大な景色を望める。風光明媚な遊歩道である。ただ、この遊歩道には気になることがひとつある。遊歩道で見かける「現在地」の名称である。「寄(やどりき)自然休養村(そん)」が近くなるにつれて、順に「四之沢」・「三之沢」・「二之沢」の「現在地」標識がたっているが、それぞれ新たに「マムシ原沢」・「第六天沢」・「ヤスミドウ沢」の標識が付いている(上の写真)。同じ場所に「別の名称」をつけては誤解を生じるもとである。3箇所とも滑落などの事故が起きる場所ではないと思うが、万一、滑落して「『第六天沢』にいます」と救助要請した場合、救助隊側が「三之沢」と認識していれば、事故現場の特定に時間がかかり救助が遅れることにもなりかねない。現在地標識はひとつでいい。
 尺里峠に「 ← 第六天からの富士山(この先20m)」・「第六天からの富士山(この先100m)→ 」と書かれた富士山のビューポイントを示す案内板が新たに設置されている。尺里峠で休憩中、ちょうど車から5,6人の男性がおりてきた。「ここは尺里峠で、第六天ではないですよね」と話しかけたら、「あそこのポストに地図がありますよ」と教えてくれた。服装などの雰囲気がハイカーではなかった。「松田町の役場の方ですか」と聞いたら、「ええ、まあ」と言葉を濁されたので町役場の方ではなかったかもしれない。「間伐材の調査に来ました。山の所有者の方から山をお借りしているので」という返事がかえってきた。町役場ではないにしろ、関係者の方たちには違いないと思う。山の所有者が松田町ではないということがわかった。新たに設置された案内板は「山の所有者(持ち主)」がたてたものかもしれないと思った。そうすると「○○○○○守る会」事務局の「○○」さんが山の所有者ということになる。事務局代表と思われる。胃の腑に落ちた。
 山は所有者のものだから「自分の山にどういう標識をたてようが、部外者からとやかく言われる筋合いはない」と言われてしまえばそれまでである。山を私有地として「部外者・立入禁止」の標識をたててしまえばそれまでである。しかし、山にはその性質上、存在そのものに「公共性」が内在している。「神奈川県 水源森林」としての大事な役割も果たしている。「登山道」として解放する場合、その「公共性」は明白である。
所有者の方には、山北町・松田町の町役場や観光協会などと、管理・運営についてさらに協議、連携を図ってもらいたいと切に願う次第である。カップル、家族連れ、友人同士、歩く会、単独行を問わず、上述のルート・サブルートを歩く多くの登山者が、高松山はじめ周辺の登山道・遊歩道散策を楽しみ、素晴らしい眺望を満喫できるよう、これまで施工されてきたルートの安全整備、注意喚起や誘導案内の標示に感謝すると同時に、今後も引き続き留意していただきたくお願いする次第である。

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68. 「くるみ平(カキノキ平)」 撮影日 2016年12月3日( 記事掲載:2016.12.11 )
 「松田山みどりの風自然遊歩道」の途中に「くるみ平」という見晴らしのいい場所がある。「くるみ平」の標示板もたっている。この標示板の脚に「カキノキ平(だいら)」という別の標示板がプラス・ネジで張り付けてある(左の写真)。「くるみ平」の脚に「後付け」で細長い板を張り付けた様子が見てとれる。「くるみ平」も「カキノキ平」も、どちらの標示もたてた団体名は不明である。「くるみ平」という名称に異議を唱え「カキノキ平」の名称にしたいという意味なのか、「くるみ平」には「カキノキ平」という別名があることを知らせたいという意味なのか、その意図がわからない。既存の標示に別の標示を張り付けるのは、非常に独善的な行為という気がする。標示を書き換える行為にも匹敵する。こういう行為をしてはならないと思う。この標示板を目にする子どもたちにはマネしてもらいたくない行為である。「くるみ平」の文字の特徴から「勘亭流」のフォント文字と思われる。同じ字体で書かれた別の標示板を見たことがある。その標示板には「○○○○○守る会」とたてた団体名が記入されている。「カキノキ平」の
標示板をたてたのが、同じ「守る会」なのか別の団体なのか不明だが、同じ場所に2つの名称があるのは紛らわしい。ハイカーを混乱させるだけである。この地には「クルミ」の木がなく「くるみ平」の名称にはその根拠となる「クルミ」の木がその地に植わっていなければならないと考えてのことなのか、この地に「カキ」の木が植えてあるからなのか、筆者に樹木を識別する能力はないが、もしそうだとすればここに「クルミ」の木を2、3本植えたいと思う。視界が開けた山並みの眺望を妨げない場所に植えたいと思う。
 松田町公式ホームページ「観光情報」のハイキングコースを参考に行程を設定して散策している。コース地図の「くるみ平」にビュースポットのマークが付いていたので立ち寄ってみようと思った。「くるみ平」の名称に「クルミ」の木を連想したわけではないし、「クルミ」の木が植えられていることを期待したわけでもない。「クルミ」の木とは無関係に「くるみ平」の名称を享受している。「くるみ平」には、松田山に吹く「みどりの風」のさわやかな語感を感じる。「カキノキ平」にはそういう語感がない。「くるみ平」の名称だけにしてもらいたい。

#no67-1
#no67-2
67. 「高松山〜シダンゴ山」ルート・要注意の場所 (上)2016/11/06 (下)12/03 撮影
 「八丁神縄(はっちょうかみなわ)林道」を歩いたとき、八丁側の車両通行止めゲートを入ってからしばらく進むと左へカーブする場所があった。「森林を大切にしましょう」の案内板がたっている。案内板の右奥に、皆瀬川に沿って登山道らしき道がのびているようだった。このときはそのまま道なりに左へ進んで大野山へ出たが、「虫沢(むしざわ)林道」を歩くコース設定の中で、この案内板の場所を起点にして、皆瀬川を上流へさかのぼってみようと思った。地図で見るかぎり、上流で「秦野峠林道」へ出られそうだった。秦野峠林道の「林道秦野峠」は「虫沢林道」の起点(終点)になっているので、虫沢林道を歩けると考えた。
 「虫沢林道」へ出るまでが大変だった。案内板の場所には木のベンチが新たに設置され、登山道として認定されているような気配を感じた。渓流沿いに上流へ進むと、背の高い堰堤につきあたる。この場所は岩場の急な崖になっていて、ロープが2本設置されていた。ロープの先に登山道らしき道はない。木の根元を足がかりにして左へ右へ移動しながら何とか尾根の上へ出た。次の尾根までは、登山用に整備されたものか林業作業用かは不明だが、丸太を使って登山道ができていた。この第2の尾根にはピンクのテープが巻かれた木が多く見られる。昼食休憩にした(上の写真)。その後、シダンゴ山方面へ進み、標識のある分岐点で「林道秦野峠」へおりて虫沢林道を歩いた。
 「ダルマ沢(ざわ)ノ頭(あたま)」へ登る設定では、高松山へ向かう逆コースをとった。松田町ホームページ・ハイキングコース地図に「高松山に向かうとき右の尾根に迷い込みやすい」と書いてある地点の正確な場所を確かめたかった(下の写真)。昼食をとった尾根の写真(上の写真)と、迷い込みやすい地点の写真(下の写真)を照合したところ同じ場所だということが分かった。昼食をとった場所がすでに「高松山〜シダンゴ山」ルートの線上だったこと、写真も「高松山」方面を向いて撮影していたことが判明した(上の写真)。木に巻かれたピンクのテープや幹の皮のはがれ方、倒木の位置関係、頭部が赤い杭などを比較・照合し、同じ場所という結論に至った。上の写真は下の写真の左奥になる。
 この場所は三角形になっていて、高松山からこの地点に来る場合、迷い込みやすい尾根が左後ろへもどる方向にあるので入り込む心配はないと思われるが、高松山へ向かう場合(下の写真と同じ立ち位置の場合)、登山道が左右2方向に分かれているように見てしまう可能性もある。コース地図に注意書きを記載したのは、そういう可能性を考慮してのことと考えられる。実際に歩いてみて、この場所では登山道が左前方へ直線的にのびていて、右方向へ行くと「登山道からはずれる」印象を受けるので、登山道をそのまま進めば右の尾根に迷い込む可能性は少ないだろうと安心したが、一方、万一のことを考えてこの場所に「 高松山」のような方角標示板があるといいかもしれないとも思う。2016.12.5

#no66
66. 八王子城跡(じょうせき)・後主殿跡(ごしゅでんあと) 2016年8月4日 撮影
 『京王沿線の里地・里山を歩こう』サイトの「八王子城址(じょうし)コース」を歩いた。
写真は深沢山(ふかざわやま)頂上の本丸跡(本丸址/ほんまるあと)から金子曲輪(くるわ)経由で下山してきて、曳橋(ひきはし)手前で後主殿跡の方角を撮影したもの。「築城当時そのままの状態で石垣を残した」と解説板に書いてあるとおり、後主殿付近の石垣が何層にも積み重ねられていることがわかる。北条氏照公が、八王子神社(京都の学僧妙行が祭祀を建てたのが始まりらしい)が建立されている深沢山に城を築き、八王子権現(牛頭天王(ごずてんのう)とその八王子(8人の王子))を城の守護神としたので、この城が「八王子城」と呼ばれるように
なったとのこと。八王子権現が地域の信仰を集めるようになり、「八王子」の地名として定着したようだ。2016.8.7

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65. コメツブツメクサ(米粒詰草)  2016年5月21日 撮影
 春になると毎年、集合住宅の遊歩道わきにシロツメクサ(白詰草)の花が咲き始める。紫色がかったアカツメクサ(赤詰草/別名:ムラサキツメクサ)も咲く。子供の頃、シロツメクサの花をつなげて輪っかになった完成品の花輪を見たことがある。シロツメクサを見ると、いつもその
花輪を思い出す。自分で花輪を作った記憶がないのは、生まれつき不器用だったからかもしれない。当時は「シロツメクサ」の名前を知らず、「れんげ」だと思っていた。シロツメクサという名前がわかってからは[ れんげ=シロツメクサ ]になった。思い込みというのはやっかいなものだ。「レンゲソウ(蓮華草)」という赤紫色の、全く別のきれいな花があることを知って誤解の連鎖を断ち切った。花の写真を撮るようになってから花の名前を調べるようになった。「アカツメクサ」の名前も検索して知った。過日、町田市の小山田(おやまだ)緑地を歩いていて「コメツブツメクサ(米粒詰草)」に出合った。あたり一面に咲いていた。背丈が低く、その場で身体を伏せるような状態で撮影した。花の大きさはシロツメクサやアカツメクサより、ひと回りもふた回りも小さい。帰宅してから花の名前を調べた。最初は「クスダマツメクサ(薬玉詰草)」と思ったが、花の色は黄色でも花全体がクスダマの形になっていない。白と赤に黄色が加わり、3色そろって喜んでいる。
 撮影年月日(左から):2009.9.19/2016.5.12(「多摩よこやまの道」にて)/2016.5.21 〔 2016.6.8・画像クリック拡大表示 〕

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64. 秦野峠林道  撮影日 2015年10月31日+2016年2月27日
  去年10月、檜岳に登ったとき、蜂花苑「やどろぎ荘」から少し歩いて、ちょうどバンガローが建っているところに「秦野峠林道・起点」の標識があった(左側の写真)。今年2月に林道秦野峠から秦野峠林道を玄倉(くろくら)へ下ってきたとき、「起点から6km」・「起点から9km」の標識を通過した。裏側にはそれぞれ「終点から9km」・「終点から6km」と書いてあった。丹沢湖が目の前という玄倉の標識も「秦野峠林道・起点」だった(右側の写真)。林道は中津川の寄大橋(やどりきおおはし)を渡って、林道秦野峠を越え、丹沢湖の玄倉まで全長15kmということになる。距離がだんだん長く(短く)なるので誤解はないが、「終点」がなく「起点」が2つあるというのは紛らわしい。玄倉側が「終点」と思われる。「玄倉から9km」・「玄倉から6km」と地名で表示するのがいいかもしれない。2016.5.5(画像クリック拡大表示)

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63. はなじょろ道(みち) ※左上はキャプチャー画像/左下の写真:2016年3月29日 撮影
 「はなじょろ道」は「明治末期まで虫沢地区と山北町の八丁地域を結び、生活道であると同時に花嫁さんが通った道でもあることからこう呼ばれてきた」とのこと(左上画像)。最初は変わった名前の登山道があるぐらいにしか思っていなかったが、少しずつ「じょろ」の言葉に抵抗感が出てきた。「じょろ」を調べたところ、「女郎の音変化」で「@遊女・娼妓(しょうぎ)A若い女・一般に女性」(goo辞書より)を意味することがわかった。「一般に女性」という意味で使われているのかもしれないし、花嫁さんのことを他意もなく親しみを込めて「花じょろさん」などと呼んでいたのかもしれない。いずれにしても想像の域を出ないが、どうもすっきりしない。受け入れがたい気持ちが残る。「じょろ」の響きがいけない。女性を性の道具として扱う、無神経な女性蔑視の呼称という連想がどうしてもつきまとってしまう。そういう連想に陥ってしまう自分が情けないと思う反面、明治時代、この地域の人たちは山向こうの村へ嫁いでいく花嫁さんたちのことをどう考えていたのだろうかとも思う。今でこそ「女郎」という言葉は死語になりつつあると思われるが、この名前が当時の時代背景や地域社会の様子を伝えているような気がする。この登山道を単に「よめいり道(みち)」ではなく「はなじょろ道(みち)」と命名したことにはどんな意図があったのだろう。実際にこの道を通って嫁いだ女性たち、家財道具の運搬や身の回りの世話など周囲で支えたであろうと思われる人たち、また生活道として日常的に
この道を使っていた人たちは、どのような気持ちでこの名前を受け止めていたのだろう。抵抗はなかったのだろうか。峠を越えてその先の村へと向かう花嫁さんの気持ちを思いつつ、自分の足でこの登山道を歩いてみた(左下写真)。自分は無神経な言葉遣いで、女性に対しても男性に対しても、周囲の人たちを傷つけていないだろうかと自分自身を省みるきっかけにしようと思う。2016.3.31(村上 直一)

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62. 田代橋にて  2016年2月27日 撮影
  尺里峠(ひさりとうげ)の第六天に登り、高松山から林道秦野峠へおりて秦野峠林道の終点「玄倉」まで歩いた。田代向(たしろむかい)バス停で降りて近くの田代橋で上流の景色(左の写真)を撮影していた。土地の人らしき散歩中のカップルと出合った。「大寺橋」の読み方は「おおてらばし」でよかったが、「はなじょろ道」は「はなじょろみち」だった。「はなじょろどう」だと思っていた。女性が「わたしらは『はなじょろみち』と呼んでます」と言った。「ちょうど終わってしまいましたが、寄(やどりき)のロウバイ祭りに是非来て下さい。会場でお手伝いしてました」と話してくれた。「黄色い花ですよね」と確かめたら、男性が「香りがとてもいいですよ」と教えてくれた。たのしい会話だった。2016.3.5

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61. 富士山と菜の花台展望台  2015年11月29日 撮影
 「菩提峠」周辺の林道を歩いてみようと、「菩提原」バス停を降りて「桜沢林道」をのぼった。「葛葉ノ泉」・「二ノ塔尾根との分岐」を左手に見ながら通過して、そのまま「桜沢林道」終点についた。交差している表丹沢林道を斜めに横切り、菩提峠にあがった。年配のカップルから「『葛葉ノ泉』へ行きたいが、どう行けばいいのだろうか」と方角を聞かれた。女性が「葛葉ノ泉」を掲載した神奈川新聞のハイキングの紹介記事を手にしていた。ちょうど経由してきたばかりで、林道の交差地点を示す案内図を撮影しておいてよかった。カメラ画像を見せながら分かりやすく説明できた。偶然とはいえ、案内図を撮影しておいて本当によかったと思う。「自分も神奈川新聞を購読していて、同じ記事をよく読んでいます」と言ったらお二人ともとても嬉しそうだった。お二人を見送って昼食を済ませ、「日本武尊足跡」標柱(=二ノ塔へあがる登山道入口)のすぐ横にある車止めゲートから、ヤビツ峠の方向へ平らな林道を0.7km進んだ。塔ノ岳ルートにぶつかった地点で右手におり、「寺山富士見橋公衆便所」へ出た。そのままUターンし
て、0.5km先の菩提峠へ戻った。表丹沢林道の起点まで行ってみようと思った。途中、犬を連れた猟友会の方たちとすれ違った。起点は「表丹沢林道入口」バス停だった。「ヤビツ峠」バス停には何度か来たが、ひとつ手前のバス停がそんな名前だったことをようやく思い出した。そのまま「県道秦野・清川線(=県道70号線)」を下り、「蓑毛」バス停から秦野駅へ出た。写真は「菜の花台」バス停手前から、「展望台」と富士山を撮影したもの。黙々とペダルをこぎながら登ってくるサイクリストたちと何度もすれ違い、気持ち良さそうにサーッと下って行くサイクリストたちに何度も追い抜かれた。

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