〔 かしの木山から芹ヶ谷公園 〕 東京都町田市 2017.4.30 ◆『 まちだフットパスガイドマップ 』コース4発行:NPO法人 みどりのゆび
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解説 ぬぼこ山本宮 ・ぬぼこ山(やま)本宮(ほんぐう)。「ぬぼこ(瓊寶庫)」とは、「霊威ある御剣」を意味する由。
鎌倉古道 ・検索すると「「鎌倉古道」は、「鎌倉街道」・「鎌倉古街道」・「鎌倉道(路)」などと同様、江戸時代になってから呼ばれるようになった名称で、『吾妻鏡』では「鎌倉往還」となっている。」との記述がある。
馬頭観音 ・「馬頭観音」とは「観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。忿怒相をもち,人身で,頭が馬のものと,馬の頭飾りを戴くものとがあり,馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされる。しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰されている」由。
鞍掛の松 ・ガイドマップの解説には次のように書いてある。「元弘3年(1333)、新田義貞が分倍河原(ぶばいがわら)と関戸で鎌倉方の北条泰家と合戦。大勝した翌朝、この付近で馬の鞍を松に掛けて兵馬を休ませたという話が伝わっている。」
高ヶ坂熊野神社
(こうがさか)
・「ぐるたび」サイトでは「こうがさかくまのじんじゃ」の振り仮名がついている。
・『新編武蔵風土記稿』によると「高ヶ坂村の鎮守社」だったとのこと。
高ヶ坂石器時代遺跡
(こうがさか)

・牢場遺跡
(ろうば いせき)
・稲荷山遺跡
・八幡平遺跡
・電柱の住居表示は「こがさか」だが、遺跡の名称は「こうがさか せっきじだい いせき」。この名称は3つの遺跡を総称する名前。
・町田市のHPには次のように説明されている。「高ヶ坂石器時代遺跡は、牢場、稲荷山、八幡平遺跡の3地点からなる縄文時代の集落跡です。現在の牢場遺跡にあたる場所で、畑のごぼうが曲がって成長していることをきっかけに、1925年に発見されました。翌年、丘陵地における住居跡発見の第一号として国史跡に指定されています。牢場遺跡では縄文時代中期末の敷石住居跡が発見され、現在は覆屋をかけて保存されており、覆屋のガラス越しに見学することができます。」
・ガイドマップの紹介は以下のとおり。「縄文時代中期末ごろの竪穴式敷石住居跡で、地元の教師山本亀三氏によって発見された。前例のない構造に当初は学者に否定されたが、その後の調査で認められ、大正15年(1925)第1号の国指定史跡になった。」
稲荷山遺跡
(配石遺稿)
・町田市のHPには次のように説明されている。「稲荷山遺跡は牢場遺跡に隣接した場所で発見された縄文時代中期末〜後期の配石遺構です。現在は埋め戻して保存されており、遺構を見ることはできません。八幡平遺跡は牢場、稲荷山遺跡と谷を隔てた台地の上にあり、縄文時代中期末の敷石住居跡が発見されています。」