〔 向島百花園(墨田区) 2014.4.5 〕 AnythingSlider  公園等へ:開始(停止中):停止(作動中)》
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  • 〔 1/40 〕 「向島 百花園」への案内板。東武鉄道伊勢崎線「東向島」駅の改札口を出て。

  • 〔 2/40 〕 「けごん」の先頭車両。「東武博物館」前にて。

  • 〔 3/40 〕 「日光駅」と書かれた電車

  • 〔 4/40 〕 アセビ(馬酔木)。ツツジ科。「向島百花園」南側の外

  • 〔 5/40 〕 同上

  • 〔 6/40 〕 「都立 向島百花園」案内板。児童遊園の中。

  • 〔 7/40 〕 「管理所(売札)」。一般150円/65歳以上70円。園内撮影可とのこと。

  • 8. 「名勝・史跡 向島百花園」   ★ 画像クリック拡大表示
    クリックすると拡大します  〔 向島百花園の沿革 〕
     本園は、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢(さはらきくう)という粋人が、向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。
     往時は、江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地として賑わいました。なかでも、弘化2年には、十二代将軍家慶(いえよし)の梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人が来遊した記録が残っています。
     その後、時代の変遷と共に、小倉家に所有権が移り昭和8年2月、国の「名勝」に指定され、時至って小倉氏の遺志(名勝永久保存のため)により、昭和13年10月に東京市に寄付されました。百花園を受領した東京市は、衰退著しかった庭園を復旧し、昭和14年7月8日制限公開にしています。
     この後、戦災で石碑以外は全て焼失しましたが、多くの方々の努力のもと同24年に再び復元。その後、荒廃を余儀なくされましたが、初代鞠塢の「群芳暦(ぐんぽうれき)」を基本に植栽し、同53年10月文化財保護法により「名勝及史跡」の指定を受け、今日に至っています。
     この庭園の特徴は、芭蕉の句碑をはじめ20数基の石碑と園全体の雰囲気が、江戸文人趣味豊かに作庭され、大名庭園とは趣を異にした草庭にあります。また、初代鞠塢の頃から「詩経」や「万葉集」に因む歴史的草花を植栽し、春や秋の七草をはじめ、四季それぞれの植物が植え込まれ、野趣豊かな庭園となっています。
     江戸の文人墨客をはじめ庶民に愛され、今日まで受け継がれてきた、貴重な財産がこの「向島百花園」と言えます。

  • 〔 9/40 〕 パンフレット。スキャナー画像。

  • 〔 10/40 〕 記念スタンプ。スキャナー画像。

  • 〔 11/40 〕 「東京市碑 向島百花園来由の碑」。「来由」は「由来」に同じ。

  • 〔 12/40 〕 入口

  • 〔 13/40 〕 「隅田川 七福之内 〜 福禄寿尊(ふくろくじゅそん)」の石碑

  • 〔 14/40 〕 庭門。左「東西南北客争来」/上「花屋敷 蜀山人」/右「春夏秋冬花不断」。

  • 15. 花の写真   ★ 画像クリック拡大表示
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    (1) ハボタン・
     アブラナ科
    (2) シジミバナ(蜆花)・バラ科
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    (3) ゲンペイモモ(源平桃)・
     バラ科
    (4) ボケ(木瓜)赤・バラ科

  • 〔 16/40 〕 あずまや

  • 〔 17/40 〕 売店

  • 〔 18/40 〕 福禄寿尊堂。番号は園内の区域表示。

  • 〔 19/40 〕 御成座敷。句碑がたっている。

  • 20. 句碑などの写真   ★ 画像クリック拡大表示
    クリックすると拡大します (1) 芭蕉「こんにゃく」の句碑
      こんにゃくのさしみも些(すこ)し
         うめの花(はな)
                  はせを
    《 補注 》「はせを」は、芭蕉の俳号。
    クリックすると拡大します (2) 碑は、園内マップに「いろは....」の地点記号とともにその位置がしるされている。池の東側(東向島駅寄り)に多く配置されているようだ。
    クリックすると拡大します (3) しのぶ塚
     隅田川よ二面(ふたおもて)よと歌舞伎にも浄瑠璃にも世にもてはやさるる葱売(しのぶうり)は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵(なかぞう)が勤め、前(さき)の河竹新七(かわたけしんしち)の作なり。そが正本(しょうほん)を、ある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣(つ)ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋(うず)みて、昔忍ぶの墳(はか)と名づけその故よし記(しる)しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後(のち)の世に遺(のこ)さんとてのわざになんありける。 明治13年3月

  • 〔 21/40 〕 東京スカイツリーが間近にそびえ立っている

  • 22. 東京スカイツリーの写真   ★ 画像クリック拡大表示
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    半蔵門線「押上」駅の駅名表示が「押上(スカイツリー前)」になっていて、東武鉄道の路線図を見ても「押上−曳舟−東向島−」なので、百花園のある東向島からスカイツリーは近いと思っていたが、こんな近くで見るのは初めてである。

  • 〔 23/40 〕 園内中央付近のあずまや

  • 〔 24/40 〕 園内の様子

  • 〔 25/40 〕 萩のトンネル。記念スタンプのデザインに使われている。

  • 〔 26/40 〕 ミツバツツジ。ツツジ科。萩のトンネル内から撮影。

  • 〔 27/40 〕 同上

  • 〔 28/40 〕 金令舎道彦句碑。「今日の月 さても惜しまぬ 光かな 美知彦」。

  • 〔 29/40 〕 白い花はシジミバナ(蜆花)・バラ科。右はハナズオウ・マメ科。

  • 〔 30/40 〕 藤棚の中から池を望む

  • 〔 31/40 〕 藤棚の横から対岸の花を望む

  • 〔 32/40 〕 園内南側の通路

  • 〔 33/40 〕 東側通路。竹林がある。

  • 〔 34/40 〕 東側から見た園内の様子

  • 〔 35/40 〕 「桑の茶屋跡」

  • 〔 36/40 〕 池の橋を渡る

  • 〔 37/40 〕 サクラの花と思われる。右奥の建物は御成座敷。

  • 〔 38/40 〕 「春の七草」

  • 〔 39/40 〕 「秋の七草 佐原鞠塢(きくう)」

  • 〔 40/40 〕 入口にもどる。園内ガイドさんがツアーの一行に詳しく説明していた