〔 都立 旧岩崎邸庭園 〕 2014.3.28      Showcase [script]  公園等へ
※ オートプレイの設定です(手動で見て下さい)。左右の矢印( 左:prev / 右:next )で手動送り。
01
〔 1/34 〕 東京メトロ千代田線「湯島」駅
02
〔 2/34 〕 「都立 旧岩崎邸庭園」への方角案内
03
〔 3/34 〕 「不忍の池」標示塔。「池之端1丁目」交差点にて。
04
〔 4/34 〕 方角案内の標示
05
〔 5/34 〕 入口ゲート
06
〔 6/34 〕 現在の正門
07
〔 7/34 〕 入園券売場。一般400円。65歳以上200円。
クリックすると拡大します クリックすると拡大します 《 左の写真 》
・「旧岩崎家住宅」解説
※ 解説板後ろに「袖塀」

《 右の写真 》
・「袖塀」の解説
※「重ね三階菱」の推移

◆ 画像クリック拡大表示
 8.【 旧岩崎家住宅(重要文化財)】 台東区池之端1丁目111番1号
 明治から昭和にかけての実業家、岩崎久弥のかつての住宅。明治29年頃竣工した。
 設計者はイギリスのジョサイア・コンドル。上野の博物館(現在の東京国立博物館)や鹿鳴館など数多くの官庁の建造物の設計監督にあたり、19世紀後半のヨーロッパ建築を紹介して日本の近代建築の発展に指導的役割を果たした。
 同一敷地内に洋館〜社交の場、和館〜生活の場を並立する大邸宅は明治20年頃から建てられたが、岩崎邸はその代表例であり、現存する明治建築として貴重である。
 洋館(木造2階建地下室附)正面に向かって左半分が主屋でスレート葺の大屋根をかけ、その右にやや規模の小さい棟が続く。両者のあいだの玄関部には塔屋がたち、角ドーム屋根となっている。南側のベランダには装飾を施された列柱が並び、全体的にはイギリス・ルネッサンス風となっている。洋館左側に建つ撞球室(ビリヤードルーム、木造1階建地下室附)とは地下道でつながれている。
 洋館と撞球室は昭和36年に重要文化財の指定を受け、昭和44年には、和館内の大広間と洋館の袖塀1棟が追加指定を受けた。 平成10年3月 台東区教育委員会
クリックすると拡大します9. 【 イチョウ 】(券売所の後ろ)
左の建物は「東京大学医学部附属病院」

◆ 画像クリックで拡大表示

推定樹齢 400年 「イチョウ」 雄、幹周 7.4m
江戸時代 越後高田藩 榊原家屋敷時代よりこの地にあったと思われる大イチョウ。
イチョウは老木になると幹枝から「乳」あるいは「垂乳」と呼ばれる乳房状のこぶが垂れ下がることがあり、このイチョウにも見られます。
 12月初旬の黄葉の季節には、洋館正面玄関のステンドグラスを黄金色に染め上げ、やがて降り積もる落葉は、またたく間に車寄せ広場を黄金色の絨毯で埋めつくします。
10
〔 10/34 〕 洋館。館内にビデオ・シアターあり。金唐革紙(きんからかわし)・ガラス器・暖炉・トイレなどの展示。玄関入口で靴入れポリ袋をもらう。館内撮影禁止。
11
〔 11/34 〕 パンフレット。スキャナー画像。
クリックすると拡大します12. 【 和館 】
◆ 画像クリックで拡大表示

 1896(明治29)年に洋館とともに完成。約550坪の建て坪には、岩崎家の居室および使用人の部屋など14室が設けられていたが、現存するのは4室だけである。寄棟造り、桟瓦葺による純和風建築で、建築は大河喜十郎と伝えられる。広大な芝庭の庭園形式、洋館と併置された建築様式は、その後の日本の邸宅建築のひな形になったと言われる。
13
〔 13/34 〕 芝庭。和館を出て。
14
〔 14/34 〕 洋館(ベランダ側)
クリックすると拡大します クリックすると拡大します クリックすると拡大します クリックすると拡大します クリックすると拡大します クリックすると拡大します クリックすると拡大します15. 【 庭園 】 幕末、越後高田藩(藩主・榊原政敬)の藩邸であった旧岩崎邸の庭園は、典型的な大名庭園であったと推測される。岩崎邸建設時に和洋併置式の「芝庭」に改造された。現在、書院風の庭園の一部が和館広間前にわずかに残るだけで、芝地に配されていた景石、および和館内にあった石灯籠などは庭を囲む樹林内に置かれている。
 上(左から): サクラ / サクラ / 石灯籠
 中(左から): 層塔 / 宝篋印塔の塔身部分か / 庭園内の通路
 下: 洋館前の木   ◆ 画像クリック拡大表示
16
〔 16/34 〕 芝庭を隔てて庭園を望む
17
〔 17/34 〕 洋館側面
18
〔 18/34 〕 サンルーム側
クリックすると拡大します クリックすると拡大します
19. 【 撞球(どうきゅう)室(ビリヤード場)】
 設計は洋館と同じく英国人建築家のジョサイア・コンドルで、完成は1897(明治30)年以降とされる。日本には珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、木造ゴシックの流れをくむ建物である。

 左の写真: 正面(洋館前にて) / 右の写真: 側面(出口手前にて)

 ◆ 画像クリック拡大表示
20
〔 20/34 〕 正面玄関へもどる
21
〔 21/34 〕 「岩崎家ゆかりの都立庭園」。入口ゲート裏側。
クリックすると拡大します◆ 画像クリック拡大表示

22. 【 煉瓦塀(れんがべい)】
 当初は、煉瓦積み黒漆喰仕上げの塀であり、桟瓦(さんがわら)が葺かれていた。黒漆喰仕上げは耐水性と耐火性に優れた工法で商家や蔵に用いられることが多かった。耐震補強工事の際に発掘された瓦を使用し、当初の様子が一部復原されている。
23
〔 23/34 〕 「無縁坂」のぼり口
24
〔 24/34 〕 「無縁坂(むえんざか) 文京区教育委員会」の標示板
25
〔 25/34 〕 歩道に埋め込まれた標示板
26
〔 26/34 〕 東京大学・本郷キャンパス見学。本部棟。龍岡門(たつおかもん)を入って。
クリックすると拡大します クリックすると拡大します
クリックすると拡大します 27. 【 キャンパス 】

《 上の写真 》
左:バス・タクシー道路
右:校舎棟と思われる

《 下の写真 》
キャンパス内の様子

◆ 画像クリック拡大表示

28
〔 28/34 〕 安田講堂。前面パネルは改修中のお知らせと写真紹介。上の転記解説参照。
29
〔 29/34 〕 正門。内側から。
30
〔 30/34 〕 同上。本郷通りを隔てて。
31
〔 31/34 〕 赤門
32
〔 32/34 〕 同上。横断歩道を渡って。
クリックすると拡大します◆ 画像クリック拡大表示

33. 【 赤門 】解説
文政10年(西暦1827年)加賀藩主前田齊泰(なりやす)にとついだ11代将軍徳川家齊の息女溶姫(ようひめ)のために建てられた朱塗りの御守殿門(ごしゅでんもん)であり、重要文化財に指定されています。
34
〔 34/34 〕 「湯島天満宮」の鳥居。「湯島天神入口」交差点にて。